アドラー心理学①「承認欲求を否定しよう」:嫌われる勇気 より
対話形式で、厳しい親で育てられて苦悩している若者に生き方を説いていく、そのベースにアドラー心理学を使用しています。
題名が微妙ですが、「嫌われろ」と言っているのではなく、「他人を気にせず自分として生きろ」という趣旨です。
他人の目や評価が気になる、「しつけ」を刷り込まれて生き方が堅苦しいと感じている人はぜひ読んで欲しいです。
特に日本人は「精神的自立」が苦手(どうすればいいかわからない)と思います。
本書では「精神的自立」につながる考え方とどうすればいいか、と説いています(むずかしいですけどね)。
本日は「承認欲求」について。
■承認欲求を否定する
適切な行動をとったら、ほめてもらえる。不適切な行動をとったら、罰せられる。
アドラーは、こうした賞罰による教育を厳しく批判しました。
(途中略)
ほめてもらいたいという目的が先にあって、ごみを拾う。
そして誰からもほめてもらえなければ、憤慨するか、二度とこんなことはするまいと決心する。明らかにおかしな話でしょう。
(途中略)
他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きる事になります。
(途中略)
つまり、ほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。
日本では承認欲求を権力側(親含む)が都合良く使う構図が出来上がっています。
子どもには親が周りの目を気にして「静かにしなさい!」と怒り、
学校では他人と比較し結果が良ければ「xxちゃん良く出来たね」とほめ、
会社員は「肩書き」でモチベーションコントロールする。
特に会社員の「肩書き」は本来《役割分担》であり、上下関係ではないはずなのに、なぜか肩書きが上の方が「偉い」ことになってしまいます。
この「権威主義」的考え方は、承認欲求を(たぶん無意識に)権力側が利用する構図の典型です。そして、その罠に容易にハメる「教育」が出来上がっています。
当然ながら、他人に対する「やさしさ」や「気遣い」は大事です。
しかし、「ほめてもらいたいから」では良くないです。
なぜなら「他人の人生を生きることになる」からです。
会社の場合、「承認欲求」を元に昇進をちらつかせて社員を「給与以上に」働かせる⇒権力側は《過剰な労働力=お金》と《権威欲を満たす》という搾取をしているわけです。
これに付き合っていては、自分の生き方はできません。
高度成長時代は、嘘でも会社に従属することが金銭的メリットの大きい時代でしたが、現在は金銭的メリットはまず期待できない。とすると、上記会社の理論に付き合っても労働者側メリットがほとんど無いのです。
まずは考え方として「承認欲求」を否定することを紹介しました。
「承認欲求」が強い人の心理の裏には「自己無価値感」があると思います。「自己無価値感」については別の機会に。
次回は本書の「課題の分離」を紹介したいと思います。